映画『フォードvsフェラーリ』を予見していた(?)2015年のル・マン24時間
フォードは3年目の挑戦となった1966年のル・マン24時間レースで、悲願の初優勝を果たします。しかも、1-2-3フィニッシュ!
2015年のル・マン24時間で、後の映画『フォードvsフェラーリ』につながる出来事や展示がありました。
メディアセンターの掲示板に、フォード・パフォーマンスが何らかの発表を行う旨の告知がありました。
出席者はビル・フォードJr.(フォード・モーター・カンパニーのチェアマン)、マーク・フィールズ(フォードのプレジデント&CEO)、ラジ・ネア(フォードの製品開発担当副社長)、そして、チップ・ガナッシです。
(右からビル・フォード、マーク・フィールズ、ラジ・ネア、チップ・ガナッシ)
フォードのル・マン24時間への復帰と、参戦車両であるフォードGTの発表が行われました。
フォードがワン・ツー・スリー・フィニッシュを達成して50年となる2016年に、ル・マン24時間に復帰しようというわけです(残念ながら、2019年限りで撤退。時の移り変わりは早いですね……)。
ビル・フォードJr.(『フォードvsフェラーリ』に出てくるヘンリー・フォード2世の甥)は、発表イベントの際、以下のように発言しています。
「フォードがル・マンでワン・ツー・スリーを達成した1966年のことは良く覚えている。私は9歳だったが、それまでの人生であれ以上に印象的な瞬間はなかった。あの瞬間に私は決めた。生涯をフォード・モーター・カンパニーに捧げようとね」
サーキットの一角では、『フォード対フェラーリ』展が開かれていました。
『Le Duel(戦い) 1964-1967』のタイトルが付いています。
エンツォ・フェラーリ(左)とヘンリー・フォード2世です。映画のシーンと重ね合わせて見てください。
1966年のル・マン24時間レースで優勝したフォード2号車です。背景は表彰式のシーン。
こちらは3位に入った5号車。
残念ながら、ケン・マイルズの1号車は展示されていませんでした。
こちらは、フェラーリ330P3。後ろの壁には、「サーキットにやって来たヘンリー・フォード2世の妻は、フェラーリの勝利に1000ドル賭けた」といったエピソードが書いてあります。
フェラーリのトランスポーターも展示されていました。
https://www.facebook.com/serakota/
2015年のル・マン24時間で、後の映画『フォードvsフェラーリ』につながる出来事や展示がありました。
メディアセンターの掲示板に、フォード・パフォーマンスが何らかの発表を行う旨の告知がありました。
出席者はビル・フォードJr.(フォード・モーター・カンパニーのチェアマン)、マーク・フィールズ(フォードのプレジデント&CEO)、ラジ・ネア(フォードの製品開発担当副社長)、そして、チップ・ガナッシです。
(右からビル・フォード、マーク・フィールズ、ラジ・ネア、チップ・ガナッシ)
フォードのル・マン24時間への復帰と、参戦車両であるフォードGTの発表が行われました。
フォードがワン・ツー・スリー・フィニッシュを達成して50年となる2016年に、ル・マン24時間に復帰しようというわけです(残念ながら、2019年限りで撤退。時の移り変わりは早いですね……)。
ビル・フォードJr.(『フォードvsフェラーリ』に出てくるヘンリー・フォード2世の甥)は、発表イベントの際、以下のように発言しています。
「フォードがル・マンでワン・ツー・スリーを達成した1966年のことは良く覚えている。私は9歳だったが、それまでの人生であれ以上に印象的な瞬間はなかった。あの瞬間に私は決めた。生涯をフォード・モーター・カンパニーに捧げようとね」
サーキットの一角では、『フォード対フェラーリ』展が開かれていました。
『Le Duel(戦い) 1964-1967』のタイトルが付いています。
エンツォ・フェラーリ(左)とヘンリー・フォード2世です。映画のシーンと重ね合わせて見てください。
1966年のル・マン24時間レースで優勝したフォード2号車です。背景は表彰式のシーン。
こちらは3位に入った5号車。
残念ながら、ケン・マイルズの1号車は展示されていませんでした。
こちらは、フェラーリ330P3。後ろの壁には、「サーキットにやって来たヘンリー・フォード2世の妻は、フェラーリの勝利に1000ドル賭けた」といったエピソードが書いてあります。
フェラーリのトランスポーターも展示されていました。
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